
「地球のみんなと考える 豊かさとは何か」静岡県立ふじのくに地球環境史ミュージアム

「学芸員リレーノート」はじめます
学芸員は、普段は自分の館や展示資料の魅力を伝える側です。でも他の博物館へ行けば、一人の来館者。知らなかったことに驚き、美しい作品に見惚れ、展示テーマやストーリーに夢中になります。少し仕事目線で、展示の見せ方や照明、パネルデザインに感心することもあります。
この「学芸員リレーノート」は、そんな学芸員たちが専門を少し離れ、博物館で出会った「びっくりした」「面白かった」「やられた!」をリレー形式で紹介する企画です。新鮮な驚きを大切にしたいので、訪れるのはあえて自分の専門外の博物館。
第一走者は、元学芸員の私、中尾(専門は日本考古学)です。
次の記事も読んでみたくなるようなバトンリレーをできたらうれしいです。
「おすすめの博物館は?」に答えるのは難しい。
仕事柄、全国の博物館をノンジャンルで飛び回るので、よく「おすすめの博物館は?」なんて聞かれることがあります。
歴史博物館、美術館、科学館、動物園、水族館、文学館、プラネタリウム。
全国には実にさまざまな博物館があります。それぞれに個性があって、それぞれに魅力がある。
だから正直、困るんです。
その人が何に興味を持っていて、どんなものが好きなのかわからないまま「おすすめ」を決めるのはなかなか難しい。熟練のバーテンダーがその日の気分にピッタリのカクテルをスッと差し出してくれるように、カッコよく提供できればいいのですが、そんな洒落たことはできません。
今回の企画でも、どこの博物館を取り上げるか、とっても悩みました。
自分の好きな館? →いっぱいある。
誰もが楽しめる館? →あるなら教えてほしい。
展示が良い館 →そもそも「良い展示」ってなんだろう?
しばらく頭を抱えた末に、条件をひとつ決めました。
もしこの記事を読んで訪れた人がいたら、その人とお酒でも飲みながら「感想戦」をしてみたい。そんな博物館です。
そう考えたときに真っ先に思い浮かんだのが、静岡県にある「ふじのくに地球環境史ミュージアム」でした。
高校の校舎で出会う、ひとつの問いかけ

静岡県にあるふじのくに地球環境史ミュージアムは、閉校した高校の校舎を活用してつくられた県立博物館です。誰もが記憶にある、大きな庇と重いガラスの扉。かつては登校する生徒があふれていたであろう入り口を通ると、正面のスペースに机と椅子がひとつだけ。その上に置かれた本の表紙には「豊かさとは何か?」の文字がありました。
この問いかけから、博物館での体験が始まります。
教室という空間と展示の相性
常設展は「ふじのくにの海」「ふじのくにの大地」「ふじのくにの生物多様性」など、10くらいの教室に分かれており、それぞれのテーマに合わせたデザイン性の高い展示と、端的で強いメッセージが展開されます。教室という空間が好奇心と学習意欲を程よく刺激してくれ、ワクワクするような知的冒険に誘われているような、そんな感覚を与えてくれます。
これはホント、場の勝利というしかないんですが、学校という学びの場が博物館展示と相性良すぎるんですよねぇ。展示什器(ケースとかジオラマの台とか)も学校の机とか黒板とかをうまく使っていて、デザインとしてもすごく楽しいんです。
「骨の教室」——地球のみんながクラスメート

なかでも印象に残ったのが「骨の教室」です。
名前のとおり、教室いっぱいに骨格標本が並んでいます。いや、並んでいるというか着席しています。哺乳類、鳥類、魚類。そしてもちろん人間も。みんながちゃんと席について、授業が始まるのを待っているかのようです。
そんな状態なので、最初はビジュアル的なインパクトばかりが飛び込んできますが、しばらく眺めているうちに不思議な感覚になってきました。
博物館というと、つい人間を中心に考えてしまいます。でもこの教室では、人間もまた数多ある生きものの一つとして、クラスメートのみんなと並んでいる。地球にいろんな生き物がいる。当たり前のことなのですが、実際に同じ空間で一覧してみると、その当たり前を景色として見せる展示に出会ったことがないことに気が付きました。
「地球環境史」がこの館のテーマですが、これは人間だけの環境や歴史ではなく、地球に生きるみんなのものなんだなと、なんだかストンと腑に落ちたんです。
そして、もしかしたらこの展示は、これからの地球環境史を(人間からだけの視点ではなく)生きものみんなで一緒に学び考えていくものだというメッセージも投げかけているんじゃないか。そんなふうに思ったとき、この展示が大好きになったんですよね。
博物館の「仕事場」が見えるミドルヤード

もう一つ、興味深いのが「ミドルヤード」です。
博物館好きの方なら「バックヤード」という言葉を聞いたことがあるかもしれません。博物館資料や作品・標本などを整理する作業室や撮影場、研究室や収蔵庫など、いわば博物館の裏側です。
普段はなかなか見ることのできない場所ですが、博物館が博物館であり続けるための活動は、むしろ裏側で行われているんですよね。この博物館では、そんな活動を知ってほしいと、展示室とバックヤードの間をゆるやかにつなぐ空間として、「ミドルヤード」を置いています。
私が訪れたときも、ボランティアの方々が来館者の前で昆虫標本の整理作業をされていました。展示室のように整然としているわけではなく、少し雑然としていて、むしろ「仕事場」という言葉がしっくりきます。
でも、その空気がいいんです。
展示室できれいに並んでいる標本も、誰かが整理し、名前を調べ、傷まないように管理し、次の世代へ引き継いでいるから残っている。そんな当たり前のことが、ごく自然に伝わってきます。
「好き」が伝わるボランティアさんたち

しかも、そこで出会うボランティアさんたちが面白い。
お話ししていると、昆虫のことでも植物のことでも、とにかく好きだから続けているのが伝わってきます。好きなことを楽しそうに話している人の話はだいたい面白いものです。気が付けば展示を見るのと同じくらい夢中になって話を聞いていました。
そして、ミドルヤードでは見事な黒板アートを描くボランティアさんたちの姿も。とても和やかで楽しそうに描いてらっしゃいましたが、写真の通り、完成度高すぎですよね(笑)。
資料を守る人がいて、調べる人がいて、支える人がいて、みんなが楽しんでいる。
「開かれた博物館」という言葉がありますが、ここではそれが単なる理念ではなく、空間としてちゃんと形になっているように思いました。
過去から「百年後のしずおか」へ
そして館内を巡っていると、何度も出会うのが「百年後のしずおか」という視点です。
最初は少し不思議でした。目の前にあるのは何千万年も前の化石であり、生きものたちの歴史であり、博物館資料として受け継がれてきた標本類です。過去の話をしているはずなのに、この館はしきりに未来へ目を向けさせようとします。
でも、展示室やミドルヤードをめぐっているうちに、「ああ、そういうことか」と思いました。地球環境史というのは、昔のことを知るためだけのものではない。過去から受け継いだものを、「百年後のみんな」にどう手渡すのか。この博物館は、そのことを来館者に問い続けているのだと思います。
夕焼けの休憩室で、もう一度「豊かさとは何か?」

1階から展示室をじっくりめぐり、3階の休憩室に着いたときはもう夕方になっていました。窓から見えるのは夕焼けに染まるしずおかの街、そして大きく広がる山と海。
ここで「豊かさとは何か?」という問いが、自分でも驚くくらいの手触り感を持って立ち上がってきたんです。
自然がいっぱいならいいのか。
人の暮らしが豊かになればいいのか。
自分はなぜ、この景色を「豊か」と感じるんだろう。
しばらく考えましたが、結局答えは出ませんでした。
「豊かさとは何か?」
入口で受け取った問いを抱えたまま、私は帰路につきました。なんだか得をしたような、大事な宿題をもらったような。不思議な満足感をもらえる博物館です。
次の走者は、東洋文庫ミュージアムの篠木さんへ
さて、第一走者として少し緊張しながら書き始めたリレーノートでしたが、楽しんでいただけたでしょうか。
次の走者には、東洋文庫ミュージアムの篠木由喜さんを指名したいと思います。
東洋文庫ミュージアムは、東洋学の貴重な古書や古典籍を公開するミュージアムです。
館内にある「日本一美しい本棚」も大人気ですが、ミュージアム好きなら資料の解説パネルに注目!
古書や古典籍は、その価値を伝えることが難しい資料の一つです。
しかし東洋文庫ミュージアムでは、親しみやすい言葉で古典籍の内容を興味深く伝えてくれます。
展示を見るたびに、資料の価値や魅力を来館者と共有する博物館の仕事の楽しさと奥深さを感じるんですよね。
篠木さんがどんな館や資料を紹介してくださるのか、私も楽しみにしています。
それでは、篠木さん、バトンをお願いします!

中尾 智行
(文化庁 博物館支援調査官)
大阪府生まれ。専門は日本考古学と博物館政策。大阪や鳥取で20年以上遺跡の発掘調査に従事したのち、大阪府立弥生文化博物館総括学芸員を経て2020年から現職。公共化と価値共創をキーワードに博物館の未来を考える。


